前川氏の恩師である名古屋音楽大学の音楽療法に精通する准教授に現在、我々が行っている音楽療法について実施映像を見ていただき、アドバイスを受けに行ってきました。
前川氏が教授にアポを取って実現した貴重な機会。 質問項目を用意していましたが、顔を合わせて腰をかけた瞬間、部屋に置いてある膨大な書籍が気になってすっかり質問することが抜けてしまいました。
教授に見てもらった映像は昨年12月に職場の認知フロアで行った音楽療法。 対象者数は20名程度。実施者は2名で、私はアコースティックギター、前川氏はベースとキーボードを用いて演奏しました。
事前に歌詞ファイルを参加者1人ずつに配布。 協力してくださった看護、介護スタッフは3名(我々実施者は含めず)。 曲目はバラが咲いた、千の風になって、ふるさと、リンゴの歌、青い山脈、さらにリクエストで1月1日の全6曲。
所要時間40分弱。
早速、教授に我々の実施映像を見ていただき、指摘された点は以下の7項目です。
@意識、 A段取りの悪さ、 B目配り・気配り、 C表情・声の音程 、D曲の出だしの入りやすさ、E1曲終わった後の言葉、F曲のテンポ・音程
我々がみても明らかなAとFの反省点に、教授も目につき、指摘されました。
@意識
セラピスト役の私が初めに 、「・・・今日はビデオを撮影しています。少し遠い場所(指さししながら)にありますので、皆さん大きな声で元気よく歌ってください。」といった点。
これに教授から、「参加者は実施者のために歌うのではない」と指摘。 全くおっしゃる通りで、ビデオ撮影は我々が音楽療法の研究や実施に活かすための材料として、それに参加者は協力していただいていて、こちらがお願いしている身である。
そういった言葉は慎むべきで、これは私の意識の欠如と反省しました。 また、撮影に関しては実施前に参加者に撮影の協力は得た(認知フロアなので断言できませんが)が、それをきちんと撮影している動画に入れて、証拠として残しておくことも大切だと思いました。
「音楽療法の研究に活かすために本日はビデオ撮影をしております。 ご協力ありがとうございます。」といった形で、これからは対応していこうと考えています。
A段取りの悪さ
曲間で自分たちの演奏楽譜を探したり、椅子に楽譜を立てかけてやっていたため、楽譜が落ちたり、ものが散乱していて、準備に時間がかかっていました。
今回行う曲をあらかじめ決めておいて、その順番に楽譜を組み直して準備しておくことなど、事前の準備不足が露呈していました。以前、勤務していた特別養護老人ホームの主任にも良く言われていた「段取り8割、現場2割」という言葉を思い出し、これからはしっかり事前準備に手をかけていこうと反省しました。
またこの指摘についてですが、譜面台を使うことで、目線が上に上がり、利用者との目線を併せやすく、目配りがゆきとどきやすいが、譜面代によってその視界が遮られることもあり、教授は必ず楽譜や歌詞を見ずにやっているとおっしゃっていました。 現在の我々のレベルでは実現は難しいので、譜面代を効果的に活用する方向で検討してみようと考えています。
例えば、あまり歌が得意じゃなくて、聞きたいだけの方。 そういった参加者には、こういうバリア(譜面代)をおくことで、「みんなが歌っているから、私も歌わなきゃいけない・・・。」そういった強迫観念に似たものを和らげるためのバリアになると思いました。
誰もみてないからいいかな的な逃げ場というと語弊がありますが、そういうスペースをつくもの大切で、非常に有効であると考えました。
しかし、これを有効にするためには、1回目の実施時にある程度、参加者反応を見て、2回目からその利用者をそのポジションに配置(いてもらう) することが必要になってくる。
イコール、「1回目の実施でどれだけ多くの人の顔や歌っている表情を見れるか」が問われてきます。 前を向いたら、全ての参加者の顔が見える少数での実施なら比較的安易に観察できますが、我々は福祉施設主体で実施していく形なので必然的に数十名といった多くの方を対象としてやっていくこととなります。
1曲目に顔をみて、「歌ってないな〜」「表情が暗いな〜」と受け止めて、そのあと3曲目には参加者が慣れてきて、もしくは好きな曲が来て元気に歌っていたとしたときに、実施者がそれを見逃さないようにしなくてはいけない。
「毎回」見逃さずできるかと考えると、 可能性としては低いでしょう。 これに対して、見逃さない方法を考えると良いアイデアや手法は浮かびませんが、しかしその穴を埋めるために、施設に音楽療法を実施する前に、施設訪問をし、ある程度参加される方の情報をその施設の職員の方々から聴取して情報を得ることはできます。
歌が好きな人、童謡や唱歌が好きな人、歌謡曲が好きな人。 軍歌は戦争を思い出してつらくなる人、幼稚で歌いたくない人。 聞く分にはいいけど、参加したくない人。寝ていたい人。
いろんな方が見えて当然で、それが当たり前ですよね。 人間ですから。
「参加したくない方、歌いたくない方。」
こういった人たちが歌いたくないというには理由が必ずある。 物事には必ず。
そういう人たちがそう思うということは、我々の音楽療法のレベルが低いからでしょう。
そういう人たちが「今日は気分が乗るから参加してみる」「聞いてみる」といった方向へ向かわせるのも音楽療法の一環であると私は考えます。
音楽療法は歌ったり、歌に合わせて体を動かすといった、音と何かを組み合わせることによる相乗効果にそのねらいがありますが、福祉の視点から行けば、その場に「居る」ことがすでに「参加」であること。
やる気がない、歌う気がなくても、その雰囲気や空間にいることがすでに「参加」であり、相乗効果は望めないかもしれませんが、音、音楽は必ず届いていること。
居室で寝ていても、「なんかジャンジャン聞こえてくるな」と寝たきりのおばあさんがいってくれたら、それも「参加」と捉えるべきではないでしょうか。
また生活の大半を居室で過ごすお年寄りが、みんなが楽しく歌っていて、笑い声が部屋の外から聞こえてきて、うるさいと感じることもあるでしょう。 でもその前に、「何をしているんだろう?」と興味がわくはずです。
実施者が楽しんで笑って、参加者に笑顔を振りまいて、笑顔や笑いを届けられば、きっと「楽しそうだな、ちょっとみにいこうか」となると信じています。
これが今日、私が考える名古屋音楽療法工房の「音を楽しみ、笑顔になれる」音楽療法でもあります。
B目配り、気配り C表情、声の音程
これは、卒業生が老健で音楽療法を実施した映像からです。 実際にお手本となるセラピスト(司会進行役といったらわかりやすいでしょうか)の映像です。
体に障害を持っている学生さんですが、終始180度左右に顔をゆっくり振りながら、時には曲に合わせて前後に首を振り、リズムをとりやすくしていました。
参加者も後ろ姿でしたが、セラピストの首を上下する動きに合わせて首を上下に振ったり、左右にふっていました。
またこの学生さん。 大きな声をだすのにひどく体力を使うようでしたが、我々と変わらない大きな声で元気よく、つらい顔を一瞬でも見せずに、終始笑顔で楽しんでいました。
しかし、後日、この学生さんは1週間ほど声がでなかったみたいです。 そこまで負担が大きかったということでしょう。
学生さんの事前情報(声が出しずらい、身体的なこと)を聞いていたので、「一生懸命やっているな」と頭では感じましたが、表面的には笑顔で楽しそうでした。
参加者からは「笑顔で楽しそう、こっちまで楽しくなってくる」といった印象を持たれやすい感じです。
すごいなと思ったのは、終始笑顔で辛い表情をしないこと。 またアナウンサーのように言葉に抑揚をつけて、わかりやすいこと。 この抑揚の付け方は素晴らしかったです。
同じ言葉でも伝わり方が全く違う。 ヘタな役者が棒読みで台詞をいうのと、緊迫した表情で言葉にもその緊迫した状況がヒシヒシと伝わってくるように台詞をいう名役者くらい、違いが明らかでした。
「しっかり相手に伝えよう!」という意識の高さが伺えました。
こちらも、実施ビデオを見てイメージが出来ているので、実施時には声の大きさから言葉のスピード、抑揚を意識して細かい修正していこうと考えています。
D曲の出だしの入りやすさ
前奏をハミングなどして、曲の出だしを入りやすくすることや、「1,2、3、ハイ!」と言うのはもちろん、両手をふって視覚的にもわかりやすくするといいことなどがありました。
E1曲終わった後の言葉
1曲終わったら、「声がでていましたね」「皆さんの声がたくさん聞こえました」など、誉めることを1回いれたほうがいいこと。 2,3度繰り返すとくどいので、1,2回を目処にということをアドバイスいただきました。
私は年が明けて音楽療法を実施する際、その曲にまつわるお話などをいれてましたが、気分をのらせる、促す言葉もいれていくと、参加者も奇聞が乗ってくると感じました。
やはり認められたり、ほめられたら、うれしいですからね。
F曲のテンポ、音程
どうしてもノリの良い曲(青い山脈、お富さんのようなアップテンポ曲)は現代音楽のようなポップスに近いテンポやリズムになっているようで、こちらも指摘されました。
確かに、私もギターで弾く際、ポップスの感覚で弾いてしまっていました。癖になっているところが多々あり、すぐには修正することは難しいかもしれませんが、童謡や唱歌の原曲をしっかりきいて、テンポや曲の雰囲気を捉えるようにと、アドバイスいただきました。
以上です。
とりあえず、ざっとですが、教授のアドバイスを頂いて私なりにかみ砕いて解釈しました。
できれば、音楽療法の専門的領域についてお聞きしたかったですが、さすがに予備知識も基本的な知識もないため、今回は質問を控えました。 というか、上記の点は初歩的なところであり、それを指摘されるということは、まだそういった専門的な事を話す時期ではないということとして、教授も話さなかったのかなと解釈。
次回、自信を持ってお届けできる実施映像を持参してお伺いしたいものです。
今回、多忙な時間を割いてご教授いただきました教授ですが、面識も少なく、個人情報の関係からお名前のほうは伏せておきます。
この場をおかりして、御礼申し上げます。